2006年

ーーー10/3ーーー 自転車で登山

 乗鞍岳は、国内の3000メートル峰の中で最も簡単に登れる山だろう。もちろん夏から秋にかけてのシーズンだけだが、山頂まであと少しの標高2700メートルまで車で行くことができるからである。そこから山頂までは、足の速い人なら1時間程度で達することが可能だ。

 その乗鞍岳も、2003年からマイカー規制となった。シーズンを通じて、バスとタクシー以外の車は入れなくなったのである。松本側からはエコーラインという名前の付いた自動車道が、標高2700メートルの畳平まで通じているのだが、マイカーで行けるのは標高1800メートルの三本滝駐車場まで。そこから先は、バスかタクシーか自転車か歩きということになる。

 マイカーが排除されたエコーラインは、自転車乗りには理想の場所だと聞いた。なにしろ自転車にとって最も不快な存在である自動車がほとんど通らないのである。景色は言うまでもなく素晴らしいし、国内の道路最高地点まで上れるというのも楽しい。

 そのエコーラインを自転車で上がり、最後は歩きで乗鞍岳に登頂しようと思い立った。この計画のポイントは、何と言っても自転車で標高差900メートルを上りきることができるかであった。

 10年ほど前に買ったマウンテンバイク。その後ハンドルをドロップ式に交換して現在に至っているのだが、近頃はほとんど乗っていない。数年前までは、体力トレーニングのためにランニングと平行してサイクリングをやっていた時期もあった。中房川ぞいの坂道を、30分ほど上って帰るというメニューである。その道の終点の中房温泉まで行ったこともあった。それでも標高差は700メートルほど。今回の標高差900メートルは、私にとって未知の領域であった。

 9月29日、軽トラに自転車を載せ、高校生の娘を駅に送って行きがてら、そのまま乗鞍高原を目指した。三本滝駐車場で自転車を下ろし、ザックを背に出発したのは9時過ぎ。登山としては遅過ぎる出立だが、いつでもすぐに引き返せるという気楽さから、このような時刻になってしまった。

 張り切りすぎたせいか、走りはじめて10分も経たないうちに足が疲れた。気持ちが落ち込んだ。山のはるか上に見える道路が、ますます気持ちをへこませる。「これは本当にダメかも知れない」という気持ちになった。それでも天気は良いし、行けるところまで行こうと気を取り直す。(右の写真はエコーライン途中から見た乗鞍岳山頂)

 孤独な時間が過ぎて行く。額から落ちる汗をぬぐいながら、ひたすらペダルをこぐ。途中写真を撮るために自転車を降りたら、足がふらついた。完璧に足がやられている。一方道路の傾斜は、再び自転車にまたがってこぎだすのが難しいくらいだ。

 さらに傾斜がきつくなり、21段変速ギヤーを一番低くしてもつらくなってきた。いやこれは傾斜のせいだけでなく、足の疲れからも来ているのだろう。二度目の休憩を取る。道路の上にはカメラを手にした歩行者が多くなって来た。

 休憩を取れば確実に脚力は回復する。しかし、走り始めてしばらくすれば、また疲れて動かなくなる。その間隔がだんだん短くなる。歩いて山を登る場合は、極端にゆっくり歩けば、なんとか登り続けることができる。しかし自転車は、本当に前へ進まなくなる。これは今まで経験したことのない絶望感であった。

 それでもだましだまし走って行くうちに、森林限界を抜けた。ゴール地点がはっきりと見える。もう上りきるしかない。しかし足の疲れは限界に来ている。坂が急になると、自転車が止まってしまう。やむなく降りて、傾斜が緩い所まで押して歩く。付近には観光客がうろついている。紅葉目当ての連中だ。この辺りはすでに紅葉が始まっている。自転車をこいでいるときはそんな余裕は無いが、降りて見れば周囲の景色は美しい。のんびりしたいところだが、観光客の目を気にして、また苦痛のペダルに足を乗せる。

 ついに終点についた。およそ2時間の走りであった。目の前には畳平のバス駐車場と、レストハウス群が見える。なんとも高山に似つかわしく無い風景だ。(左の写真は愛車と山上の施設。水面は鶴ケ池)

 登山姿の男が近づいてきて「あんた自転車で来たの?」と驚きの表情であった。そして「下りならやってみてもいいけど、上りはとても無理だな」と言いながら去っていった。

 そこから頂上へは歩いて登る。全身的な疲労は無いが、足の筋肉が痛くてたまらない。半ばつっている状態の足を引きずりながら歩く。途中にコロナ観測所があった。なんだか軍事施設のような形をしていた。

 平日なのに登山者がいっぱいである。ほぼ全員中高年登山者だ。バスから降りて、頂上までのほんのわずかな距離と標高差を歩くだけなのに、大袈裟な登山スタイルの人もいる。その割に元気が無い。「空気が薄くてつらいね。歩き始めで3000メートル近いんだから」などという声が聞こえた。

 12時35分、乗鞍岳の最高点「剣ケ峰」に到着。小さな社の中で、若い男がお守り札などを売っていた。すぐ下の窪地にコバルトブルーの権現池が美しい。松本方面に目を転ずれば、エコーラインがうねうねと曲りくねっていた。いつものとおり、携帯電話で娘に登頂を知らせるメールを打った。娘がそれを見て友達に話すのを、私は中年男のささやかな自慢として楽しんでいる。(右の写真は山頂から振り返った登山路。遠くにコロナ観測所が見える)

 自転車のところへ戻り、いよいよ豪快なダウンヒルだ。防寒具に身を包み、出発。最初のうちは傾斜のきつさに緊張したが、じきに慣れた。しかし、ときどき突然傾斜が変わるので、油断はできない。

 それにしてもマウンテンバイクのブレーキは優秀だ。こんなに急な傾斜で、かけっぱなしなのにビクともしない。若い頃、サイクリング好きの友人から、長い道のりを下るときの恐怖を聞いたことがある。昔の自転車はブレーキが壊れる心配を抱えながら走ったそうである。確かにこんな道を走っている最中にブレーキが壊れることを想像すると、ぞっとする。

 あっけなく三本滝駐車場に着いた。上りは2時間かかったのに、下りは30分程度であった。振り返ると、やはりあんな高い所に道路が見えていた。



ーーー10/10ーーー 市民大学で講演

 
神奈川県にある桐蔭横浜大学の市民大学講座に招かれて、講演を行った。先週の土曜日のことである。題目は「木を生かす木工家具作り」。聴講生は60〜70台の方々がほとんどで、合計40名ほど。男性が八割くらいだが、夫婦で参加された方も数組おられた。

 大学時代の山岳部の先輩が教授をやっていて、市民大学講座の講師を探していたところ、私のホームページを見て「これは面白そうだ」と感じたそうである。そして私のところに話をもちかけてくれた。

 大学での講演など、私の柄ではないが、より多くの人との出会いを持てるということに心を引かれた。私のような者でよければということで、引き受けることにした。

 今までも、私の仕事に関連した講演会を、二回やったことがある。一回目は松本の服飾デザイン学校に招かれて10年以上前に。二回目は地元の文化サークルの依頼で、つい最近行った。今回はその二回目の講演に手直しをして準備をした。

 お金を貰って請け負うことだから、それなりの内容にしなければならない。パワーポイントを使ったプレゼンテーションに、様々な現物、モデルを取り合わせて準備をした。

 会社員時代と違って、今では人前で話す機会は少ない。しかも大勢の前で、さらに大学の階段教室での講演となると、さすがに緊張する。持ち時間の3時間は、途方もなく長いものに思われた。

 当日、2時間前に会場に入って準備をした。教授から「気楽にやってくれればよい」と言われて気が楽になった。

 市民大学講座に参加するくらいだから、列席者は知的レベルが高い。鋭い質問なども出て、ある意味で冷や汗ものだったが、別の意味では充実した時間となった。

 時間が余ったらいけないと思い、予定の発表の後つぎとしてスライド上映も準備したのだが、そこまで行かずに終了となった。今から考えると、もっと手際よく発表するやり方があったようにも思われる。

 それでも「とても面白かった」とか「いつもは居眠りばかりだが、今日の話には引き込まれた」などという感想を終了後に聞かされた。他の講演に比べれば、内容が身近なものだったので、関心を持っていただくことができたのだろうと思う。やはり木の持つ魅力というものは、大きいのである。

 片付けを終えて大学を出たのが5時過ぎ。夜の中央高速を走って長野に向かった。このところ出張の帰りに見慣れた景色となりつつある甲府の夜景。笹子トンネルを抜け、甲府盆地に下っていく高速道路から見た夜景がいつになく綺麗だったのは、すっきりと晴れ渡った中秋の名月の月夜のせいだったのか。



ーーー10/17ーーー アームチェア06

 アームチェア93は、私の椅子の中でベストセラーである。個人のお客様から頂いた注文の累計が100脚近くになるのだから、かなり多く作った方だと思う。

 そのアームチェア93であるが、今までは編み座のものしか無かった。他の椅子はクッション座バージョンを作っても、この椅子だけは編み座一本でやってきた。座面が大きいので、クッション座では重い雰囲気になってしまうのではないかと思ったからである。

 ここへ来て注文が途切れて自由な時間ができたので、思い切ってクッション座のものを作ってみた。

 出来上がってみると(右の写真)、予想外にバランスの取れた良い形であった。すごく存在感のある椅子という印象である。座り心地もたいへんよろしい。

 ところで、このアームチェアは、座面以外にもAC93(アームチェア93)と異なる部分がある。それは背板の形とアームの高さである。

AC93よりも背板の丈が長くなっている。その関係から、アームを数センチ下げた。さらに背板の傾きも少し緩やかにした。

 AC93は、ぎりぎりのところでアームが干渉して、テーブルの下に入らなかった。この椅子は、私の標準のテーブル高さなら、下に入れることができる。

 見た目の印象と言い、座った感じと言い、AC93とは別物の感がある。そこで新たに「アームチェア06」と名付けた。寸法、価格は作品のページをご覧いたただきたい。

 先日北アルプス登山に来た友人が、帰りに工房に立ち寄った。この椅子に座ったので感想を聞くと、「ゆったりとした座り心地が何とも言えなく良い」とのことだった。



ーーー10/24ーーー きついお手伝い

 知り合いの業者が材木運びを手伝ってほしいと言うので、出掛けて行った。

 様々な材種の板や角材が山積みになっていた。それらを崩し、横持ちし、再び桟木を挟んで積み直す。そんな作業を三日間繰り返した。

 中でも圧巻はオノオレカンバの角材であった。国産材の中で最も重い材種である。一本の重量が100Kg以上の角材を15本。それを持ち主と私の二人で、手作業で積み替えるのである。これはきつかった。持ち上げて数歩を歩くだけで息が弾み、脈が上がる。普段の仕事で、重いものを持つのには慣れているつもりだが、それでもぞっとするほどの作業であった。

 ところでオノオレカンバというのは、硬過ぎて斧が折れるということから付いた名前らしい。1センチ太くなるのに3年かかると言われるくらい成長が遅く、そのため材がとても緻密である。今回の角材の切り口を見ても、識別が難しいくらい年輪が密であった。用途としては、その硬さを生かしてハンマーの柄、算盤玉、木魚、櫛などに使われる。もちろん家具でも良いが、加工は極めて困難だろう。いずれにしても希少な材である。

 山奥の作業場は、周囲の紅葉が美しかった。夕刻になって、鹿の鳴き声を耳にした。心にしみ入るような風情であった。



ーーー10/31ーーー 和風のCat

 右の写真は、アームチェアCatの新しい試みである。材はいつも通りのナラ材だが、塗料で着色をした。そして座面はイグサで編んでもらった。

 正直に言うと、はじめから意図したわけではない。木部が出来上がったときに、木柄が部材によって合わないところがあった。それを透明なオイルで仕上げては、ちょっと違和感が生じると思った。そこで着色することにした。

 着色してみると、重厚な雰囲気になった。そこで、いつものペーパーコードではなく、イグサで編むことを思いついた。イグサの編み座は、民芸家具でよく使われるものである。

 これだけで雰囲気はガラリと変わる。オイル仕上げ、ペーパーコード編み座の、いつものCatは、柔和な印象である。それに対してこの椅子は、野性的で力強い感じがする。どちらを好むかは、人によって別れるところであろう。

 あるいは使用する場所によって選択がなされるかも知れない。古民家のような渋い雰囲気の室内であれば、このイグサCatが合うような気がする。モダンな住宅の明るい部屋であれば、いつものCatが相応しいのではないか。




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